旧魚河岸エリア<入舟界隈>

釧路魚河岸物語



 魚河岸復元図の四角に囲んだ所に共同魚菜市場という生産者の魚市場がありました。旧市場跡を中心にいたしまして入舟、大町、南大通界隈ですが、ここには二つの漁業者の流れがあります。
 一つはマグロ流し網漁業を釧路に導入をした富山県の漁民です。マグロの流し網漁業に従事した越中漁民の象徴が富山県の入善町からきた金城漁業であるとか、共同市場の枠のもっと上の方に金井番屋と書かれたところがあります。この金井番屋というのが今は金井水産のビルにあたります。
 さらにタラやカレイ、赤もの等いわゆる底魚を獲る新潟漁民の定着があります。新潟漁民はこの入舟町に入ったほか旭町に流れて行きます。
 入舟町付近には越中漁民と新潟漁民の重なりがあり、そうした北陸の漁業者の入り込みがありましたので、南大通に北陸銀行という金融機関があります。この銀行は二十銀行というかたちで早くから進出しています。
 第三は南大通と大町にかけての商業です。物を売る商店、人を泊める宿屋、人に物を食べさせる飲食店、そうした商業や小売業や飲食業などのせめぎあいがあります。例えばサ一村上商店や佐々木米太郎商店のように根室や標茶から釧路に来た商家があります。
 ところで図に示した市場は水揚げされたマグロを東京の市場に送るために開設されたものなんです。市場通りに高木商店という魚問屋がありました。この店の屋上に舟見やぐらがあって沖合いから港に帰る鮪漁船を見張り漁模様を観察していました。マグロ漁は、冷凍技術で非常に苦労します。戦後まで冬のうちに釧路川の氷を切って保存しておくということをいたします。昭和40年代、釧路は水揚げ日本一となりました。漁業の発展の陰に技術の変化もあり、その一つは冷凍技術の発展です。中村水産の工場は冷凍工場で現代の冷凍技術を象徴するものです。地ビールレストランとして建物を生かして再利用。


■釧路沖で漁獲されたマグロ水揚げ
明治40年代〜昭和10年まで釧路沖のマグロ漁が盛んで最盛期に漁獲高の半分以上を占めたことがある。
「くしろのマグロかマグロのくしろ」と言われた時代があった。魚河岸の歴史は「マリン・トポスくし
ろ」に展示されている。


■旧高木商店舟見やぐら(昭和62年に解体)


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