下音更中学校で国語の出前授業を実施

どうも、こんにちは!
クシローネだよ!

9月になったね!
釧路高専の夏休みもあと1週間。
そろそろ、生活のリズムも元に戻さないとね!!

さて、本日は、8月22日(水)~8月23日(木)の2日間、小田島先生が下音更中学校で実施した国語の出前授業についてお知らせするよ。

対象は下音更中学校の2年生4クラス136名。

石川啄木と与謝野晶子について、2時間ずつ4クラスで授業をやったから、合計なんと8時間!!!

小田島先生お疲れさまでした<(_ _)>

それでは、出前授業の様子を見てみよう!!

まずは、与謝野晶子から。
みんな、与謝野晶子って教科書では有名だけれども、どんな人で、どんな作品を詠んだか知っているかな?

小田島先生の授業では、当時の時代背景の中で、晶子がどのような生き方をしたのかも含めて、作品の解説を行ったんだ。

晶子は、大阪の堺市で裕福な家庭で生まれた。
その後、妻子ある与謝野鉄幹と出会い、恋に落ちていく・・・。
鉄幹が離縁したのを機に、結婚し、11人の子どもを出産した。

与謝野晶子の代表作「みだれ髪」はこうした与謝野鉄幹への思いを情熱的に詠んだ歌集であり、発表された明治34年(1901年)は、女性は慎ましくなければいけないとの道徳観が根強い時代で批判も多かったが、芸術性を評価する人も多く、ロマン主義文学の中心人物として活躍したんだ。

考えてみるとすごいよね!

当時は、結婚というのは家と家との結びつきという意味が強くて、離婚するのも再婚するのも風当たりが強いのに、若干23歳で一途に実行する・・・!
すごいね。また、このみだれ髪の内容がここでは紹介するのが憚れる様な、恥ずかしいくらい情熱的で、この作品を当時読んだ人は、びっくりしたんじゃないかな!!

それと、ほかの晶子の代表作「君死にたまふこと勿かれ」の解説を小田島先生がしてくれたんだけど、1904年に発表されたこの作品は、日露戦争に行く弟を思い、「親は人を殺せと教えたのか?人を殺して自分も死ねと教えるために24まで育てたのか?」と、この時代に、戦争批判ともとれるような作品になっているんだ。

すごいなあ。勇気ある行動だよね。当然、色んな人に目を付けられるわけで・・・。

それを聞いて、中学生もびっくり!!
ただの教科書の歴史上の人物が、みんなと同じ感情を持った人間として認識することができたみたいだね!!

そんな形で、小田島先生は作品の紹介の中で、晶子がどんな人だったのか?どんな時代に、どんな影響を与えたのかまで分かり易く説明してくれたよ。

勉強って面白いね!!


「与謝野晶子について解説する小田島先生」

さて、次は石川啄木!!
どんな人物なんだろうね?

啄木は岩手県で産まれ、とにかく優秀で「神童」と呼ばれていた。
・・・だけれども、盛岡中学校に進学し、最初は上位の成績だったんだけど、次第に下位に落ちぶれていき、ついにはカンニングを2回して途中で退学してしまう・・・。

社会に出てからも、気に食わないことがあれば、仕事を辞め、各地を転々としていた。また、お金にもだらしなく、明治37年~42年の5年間で、当時で1,300円あまり、今の貨幣価値にすると1,000万円以上もの借金をしていたんだ!

釧路には1908年1月からわずか76日間の滞在だったけど、在籍していた釧路新聞社を黙って辞めてしまう・・・。

そんな、ダメ男っぷりがすごいんだけど、数々の名作を残しているんだ。
教科書に載っている人がみんな素晴らしいかと言われると、そうじゃないんだね・・・。
かえって親近感がわいたんじゃないかな?

生徒さんたちも、作品の感想より、啄木の人間性についてびっくりしてる感想が多かったぞ。


「石川啄木について紹介する小田島先生」

以上、小田島先生の出前授業に関する紹介だよ。
ただ、学ぶだけでなく、こういった作者の人間性まで学べば、理解も広まるね!!

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釧路高専では、こういった出前授業を随時受け付けているぞ!!
詳しくは釧路高専のホームページに載っているから、興味があれば問い合わせてみてね!!